オラの日常

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zoom RSS 相棒のおばあちゃんのこと

<<   作成日時 : 2011/01/19 23:41   >>

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1月7日、相棒のお祖母ちゃんが亡くなった。
さいごの最期まですごい方だった。

ブログにUPさせていただこうと思っていたけれど、数回しかお会いしたことのないオラが書いても、1000分の1も伝わらない気がして、なかなか書けなかった。
けど、やっぱり、知っている範囲で書かせていただこうかな。と思う。

オラが聞き知っているのは、オラが同居しているお義母さんが生まれた頃からの話。
それ以前のことは、お祖母ちゃんは岩手生まれで、三重にお嫁にいったということしかお聞きしていない。

結婚後、お祖父ちゃんとともにお祖母ちゃんは満州に住むことになった。

子宝(お義母さん達きょうだい)に恵まれたけれど、戦況が悪化して、お祖父ちゃんはシベリアに抑留され、お祖母ちゃんは一人で、三人の子ども達を連れて引き上げてくることにしたそうだ。

小学校低学年だった一番上の子(お義母さん)に、荷物や三番目の子(妹)を背負ってもらい、真ん中の子(弟)の手を引いて、ようやくの思いで帰ってきた日本。三重の漁村で女手ひとつで子育てしたご苦労は、想像もできないくらいだ。

(そういえばオラの父も、満州から引き上げてきたのだ。当時は日本中で多くの人が、オラには想像もできないほど苦労して生きてきたのだろう)

ようやくお祖父ちゃんが帰国、もう一人の子宝(末弟)に恵まれた。
満州にいた頃かその前かに幼くして亡くなった長男、お義母さん、次男・次女・末弟で、5人。

教育に熱心で、子ども達が望むだけの教育を受けさせるためには惜しむことが無かったというお祖父ちゃん・お祖母ちゃんは、あるだけのものをかけて、子ども達を大学まで出してくれたそうだ。

長女であるうちのお義母さんは、ただいま70代半ば。
お義母さん談「この年ごろの女性で、三重の漁村で育ったのに、音楽が好きだとなったらバイオリンからピアノから声楽まで習わせてくれ、東京の音楽大学に行かせてもらえたなんて・・・そうあることじゃ、ないわよ。」

続く子ども達もみんな大学を出て、末っ子の弟である相棒の叔父さんもお義母さんと同じく音楽の道に進み、今も活躍していらっしゃる。

肝心のお祖母ちゃんは次女である叔母さんの家に同居することになり、お祖父ちゃんとともに関東に引っ越してきた。子育てを手伝いながら自分の趣味である書道・俳句・俳画(水墨画?)の道を極められたそうだ。その頃にお祖父ちゃんが亡くなった。

終の棲家となったのは末っ子の叔父さんの家。ご夫婦で活躍する叔父さん・叔母さんを助けて孫達を育て、変わらずに趣味の道を歩み続け、長いこと書道の先生もなさっていたそう。

「孫育ても一段落し、自分も年老いてきた・・・」と思った頃、自ら、近くの老人ホームのデイサービスに通い始めた。
将来は子ども達の世話にならず、老人ホームで楽しみを見つけて暮らすため、ということで、ホームで書道や俳句を教えたり、行事に参加したりと、積極的に居場所を自分で開拓。
足が弱ってからはシニアカー(電動車いす)に乗って、楽しみながら暮らしていらしたそうだ。

そのうちにようやくホームに空きができ、自ら入居。
(このへんの事情は詳しく伺ったわけではないが、手続きやなにかは末っ子の叔父さんご夫妻がしてくれたのだと思う)
すでにお馴染みの友達がたくさんできていたし、趣味に打ち込む余裕があり、施設はとても居心地良く、スタッフの人たちも気さくで雰囲気がいい。
同居していた末っ子の叔父さんの家からも近く、とても満足していらしたとのこと。
オラもホームには何度かお邪魔させていただき、そのたびにとても喜んでくれ、ぷくたんのことを可愛がって可愛がって下さった。

最近、体調が悪いと聞いていた。
しかし、お義母さんがお見舞いに行っても、足が悪いのは前からだし、頭はクッキリ、話すこともしっかりして、そう悪そうには見えない・・・けれど、お医者さんが言うにはどうやらあまり良くないようだ・・・と、お義母さんは仕事が休みの日は必ず、片道3時間かけてお祖母ちゃんのお見舞いにいくこのごろだった。

年末年始は、相棒もオラにつきあって、山形に帰省。
「年明けの三連休は、お祖母ちゃんのお見舞いに行こう」といっていた矢先の1月7日、危篤の連絡があった。

・・・危篤といっても、その日の朝食も「美味しい」と言って食べ、お昼までしっかりしていたそうで、お医者さんは危篤というが、本当に危篤なのかわからない、といった連絡だった。

相棒は仕事を早退し新幹線で向かい、オラも目先の仕事を片付けてから早退し、ぷくたんを車に乗せ埼玉へ。

残念ながらオラとぷくたんは大渋滞に巻き込まれ、30分ほど間に合わなかった。
相棒は、幸い間に合い、最期を見届けることが出来た。


立派な立派なお祖母ちゃんは、最後の最後まで立派だったそうだ。

7日は、朝食を「美味しい」と言って食べ、しかし、体中がむくんでだいぶ苦しかった様子・・・
「本当に我慢できないほど苦しくなったら、睡眠薬を注射してください」とお医者さんに頼み、子ども達に囲まれていた午前11時。

次女の叔母さんを呼び「一句できたよ」と。

「旅立つや我乗る冬の雲さがす」

と、しっかりと詠まれたそうだ。

そして午後「苦しくなったので注射してください」と自分で頼み、眠らせてもらい・・・そのまま、旅立たれてしまった。

さいごの最期まで、こんなに鮮やかに旅立った人を、オラは見たことがない。

「子ども達には世話をかけないように」と常日頃から言っていたように、お正月があけ一段落、三連休の前日を狙ったように7日、辞世の句まで残し、お通夜から葬儀・初七日まで三連休中に済ませ、旅立たれたとは・・・

告別式の喪主挨拶で、叔父さんが「この季節に空の雲を見るたびに、あそこで母が見守っていてくれると思えるような、本当にいい句を残してくれました。これからはこの季節に雲を見ては母を思い出し、温かい気持ちになることでしょう」というような意味のことをおっしゃっていた。

最期、曾孫のぷくたんを会わせられなかったことが悔やまれる。
・・・けれど、冬の空の雲から、きっと見守っていてくれるような気がするのだ。
数回しかお会いできなかったけれど、オラも、冬の空に浮かぶ雲を見ると、骨太で温かいお祖母ちゃんの面影を思い出すことだろう。


※遺されたたくさんの作品、句は、将来まとめられる予定とのこと。

※芸術家ぞろいの親族一同・・・告別式のあとの会食では、お祖母ちゃんを歌で見送ろうと、オペラ歌手でもある叔父さんの武満徹さんの「小さな空」、もう一人の叔父さんのシャンソン、叔母さんのだんな様のカンツォーネと、歌が次々と捧げられた。うちのお義母さんや相棒を含め、他にも音楽やダンスを本格的にしている人が多いので、一周忌はそれぞれが練習してきて、小音楽会を開こうという話も出たほど。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
なんと鮮やかで見事な旅立ちでしょう・・・
老いた父母を持つ身としては、ずしりと胸に染みます。

あまりに凛然とした生き方に、
もっとわがまま言って欲しかった、と、
お義母さまたちは思われたかも知れませんね・・・

おばあさま、見送る歌やダンスに、微笑んでいらしゃることでしょうね。

ご冥福をお祈りいたします。
日和
2011/01/21 03:52
こういう方の生き様、そして旅立ちの処し方を見させて戴くと背筋がピーンとします。それにしてもお見事としか云いようがありません。武満徹さんの感性も素晴らしいです。おなじ芸術家の血を相棒さんもきっとひいていらっしゃるのだなと思いました。イヤ、それはこのおばあさまの精神かもしれませんね。辞世の句の何と素晴らしい!
彼岸への乗り物も選ばれての旅立ち。恐れ入りました。
おばあさまのご冥福を心よりお祈り致します。
nobara
2011/01/21 10:18
はいむさんが記録に残したくなる気持ちがわかる。
なんて素敵なおばあさま。
一本ピシッと筋の通った生き方というのはこういうことなんだと教えていただいた気がする。艱難辛苦に磨かれた、玉のようなお人柄だったんだろうな。

おばあさまのご冥福をお祈りします。


たろ
2011/01/21 17:17
◎はいむです。
日和さん、nobaraさん、たろさん。
メッセージありがとうございます。
このたび亡くなったお祖母ちゃん、オラのお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、・・・亡くなったご先祖様一人ひとりにドラマがあって、尊敬するところがあって・・・ぬくぬくと育って生きているオラには、こうして、自分の知っている範囲で記録を残すことしかできません。
読んでいただいて、メッセージいただいて、本当にありがとうございました。
脈々と、つないでいけたら・・・と思います。
はいむ
2011/01/21 22:04

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